白黒中間

黄色人種である僕は彼らの目にはホワイトとして映るようだ。
彼らは人を白と黒の二色に分けたがる。
表面にはあまり出てこないが、かつて肌の色で差別されてきた記憶が彼らの中にあるのは確かだ。
そしてそれはさまざまな形で現れてくる。

今日も職場でこんな話になった。
「お前はホワイトだ」「いや、黄色だ」「黄色はこういう色を言う(黄色いビニールを指して)、人は白と黒そしてその中間しかない。」

そのときは、ふむ、言われてみれば黄色ではない、か。。。
ん、でも待てよ。
黄色という表現がそんなに真黄色であることを必要とするなら、ブラックは墨汁色、ホワイトは牛乳色じゃなくてはいけないじゃないか!
君たちのどこがブラックだ!それはブラウンだ!

しかも、こんなことも言われた。
「お前は髪の毛が黒いから、アメリカではブラックだ。」「何じゃそりゃ!そしたらラテン系の人までブラックじゃないか!」
まぁ、よく考えてみれば、人種なんていうものはあやふやで、その国、地域によって定義の仕方はさまざまだ。
でも僕としては人種を白と黒と中間に分けるのは、あまりにも雑な感じが否めない。
しかも、何もためらわずに僕を白と言って引かない喰い尻にも腹が立つ。
少しは僕らイエローに関して煩悶してくれ!と言いたい。
なんか、これってキリスト教の世界観(God側かDevil側か)に通じるものがあるなぁ、ともふと思った。

今の南アはアパルトヘイトから20年弱。
人々は公には口々に「人種の壁はなくなった」とはいうものの、
まだまだ人は白と黒の柵から逃れることができていないように、僕には映る。
もともとアパルトヘイトは白と黒というより、
形の上ではヨーロッパ人(日本人はアパルトヘイトを否定しなかったので名誉白人の称号をもらっていた:むしろ不名誉白人だ)
とそれ以外で分けていた。
でも、ヨーロッパ人=ホワイトが成り立つのでおのずと人々の頭には白と黒の図式が植えつけられていった。

僕は日本人の肌の色が好きだ。それは日本で育ったからで南ア人も同様に自分の肌の色に誇りを持ったり、好んだりするのかな、
と単純に考えていた。
でもそうではない。先日学生と話していたら、
「あなたの肌はきれいでいいわね、黒い肌は嫌い。」と言うことを聞いた。
僕はどう答えていいのかわからず、ありきたりに、
「黒だってきれいなものはきれいじゃないか」と答えるしかできなかった。
彼女たちには僕には計り知れない、肌の色に関するコンプレックスがあるのが衝撃的に伝わってきた。
今まで肌の色について考えなくてよかった僕は幸せだなぁ。と感じた。
と同時に彼らが肌の色についてのコンプレックスを持っている限り、人種の壁が消えるのは遠いのかな、と思う。