散歩

今日は日曜日、暇ができたのでトレーニングがてら近所を散歩することにした。まずは休み明けてから放課後教室に顔を出していなかったので、挨拶しに行った。日曜日はみな(真面目な人)教会に出払ってしまうので、通りの人通りは少なくなり、少しだけ町が静かになる。ぽかぽか照りつける冬の日差しが肌に心地よい。まだ風は冷たいから陽が翳れば肌寒い。

空の家に着いてみると案の定誰もおらず、午後の陽射しの中、閑散としている。
誰かいないかと近くを通りかかった人に尋ねるとトゥミサーニおじさんが、すぐそこの売店にいると。
そういえばまだトゥミサーニおじさんの紹介がまだだった。
彼は初めて空の家に行ったときにチャーリーさんを紹介してくれた人だ。
当時は脚を骨折しており、がっちりギプスで固められ、脚が鬱血して紫色に変色していた。「これはちょっとやばいですよー。もう一度病院にいって緩めてもらった方が。。。」というと、「そうなんだ足がだるくてしょうがないんだ」と明らかに弱ったという表情で応えていた。
仕事はちょっと何しているかわからない。この近辺ではそういう人はよくいる。
手持ち無沙汰で一日中過ごしてしまう人々。でもチャーリーさんも彼を信用しており、チャーリーさんが不在のときは彼が色々な整備をしたりして手伝っている。いわば近所の何でも屋みたいなものかもしれない。
そんな彼も今年に入り露店を始めたらしく、道端に簡易小屋を建て菓子なんかを売っている。
日本の駄菓子屋みたいなものだ。今日会った時に「商売繁盛してはりまっか?」と聞くと、「ぼちぼちでんな」とグレーは言わない、こっちの人は「繁盛、繁盛、大繁盛」な感じで明らかに成功を謳う。聞くと近所の学校なんかに手作りの菓子を仕出しているんだそうだ。それは、確かに繁盛だ。でも大本の店の棚の方をみると菓子がホントちょっと乗っているだけだったのは今日が日曜日だったからということにしておこう。

空の家の周辺の道は、年明けの大雨でクレバスができてしまっている。それが半年経ってもだれも直すことなく放置されている。これは空の家の周辺に限ったことではなく、よく通る別の場所でも同じ状況だ。





それから僕がこの町で一番嫌っていることである「汚さ」である。そこら中にゴミが散らかっており、そこもかしこも割れた瓶の破片が落ちていて、裸足の子供が怪我をしているのをたまに見かける。タクシーに乗っていても、誰かが下りるたびに乗客が開いたドアからポイポイゴミを捨てる。そのくせ、自分の家はとてもきれいにしたがる。まぁ僕が汚いだけかもしれないが。。。
パセリもゴミを捨てるけどCapetownなんかの綺麗な町をみれば「Oh! Beautiful...」なんて言ったりする。僕は初めこのゴミの町をみた時、ここに住んでいる人は汚いのがいやじゃないんだろうな、と思っていた。でも色々な人と接していくと決して汚いのが好きなのではなく、仕方なくそれに甘んじているところがあることを感じる。仕方ないというのはお金がないから、、、なんていう単純なものではなく、その環境しか知らないから、周りのみんながそうやっているから、誰も教えてくれないから、というもっと根深いものなんだと感じた。

パセリにゴミ問題や美化に対する意識についてかつて聞いてみたことがある。
どうやら地方自治体で予算を出し、学校が拠点となってゴミ拾い運動を推進してはいるようだ。
しかし、これもよくある話、活動まで達することなく、どこかでお金が消えてしまうのだそうだ。
確かに近所でゴミ拾いをしているのは目にしないし、そんな話を聞いたこともない。
こっちの町レベルでは教会がかなり力を持っているので(町内会くらいの力を持っている気がする)、
教会はそういうことはしないの?と聞くとそれはやらないのだそうだ。
「教会は道徳や慈善を教える場だからやってもいいと思うけどな」と言うと、
「まぁ、そうなんだけどね、でも学校がやるべきだよ」と。
僕は彼らと同じキリスト教信者じゃないから詳しくはわからないけど、なんだか彼らの教会には胡散臭さを禁じえない。
誤解のないように言っておくと、「ここ」のキリスト教が、である。
こっちきて感じたのは、日本で出会った、または聞いて知ったキリスト教の人とは全く違う。
異宗教か、と思うほど色々なものが違う。これも地域的な特性なのか、知れば知るほど面白くなる。
もちろん皆が集まりお互いの話を聞いて救済し合い、日々の苦痛から開放されるのはいいことだと思う。
でも、ひとたび教会仲間じゃないと知ればやはり壁ができてしまうように感じるし、広汎な影響力を持つ慈愛は感じない。
結局仲間が集まっただけの集団に過ぎず、それは別に宗教を絡めなくとも成り立つものだと思う。
彼らの他者に対する慈愛を垣間見るのはごく稀だ。まぁこういうのを感じるのも自分がはぐれ者だからなのだろうけど。。。

そんなこんなで、少しでも彼らの意識に訴えることができればな、とトゥミサーニおじさんに吹っかけてみたのだ。
「どうかな、この近辺のゴミを拾って綺麗にし、あわよくば道も自分たちで直してみませんか?ついでに花も植えて明るくしようよ」と。もちろんいつも通り返事だけはいいものをもらえたが、ここからが大変なのです。放って置いたら自然消滅必須ですから。
とにかく、今度までに計画書を作ってちょこちょことせっついていってみようと思う。


南アの理数科隊員仲間から聞いた話では「町が綺麗になると犯罪も減っていく」のだそうだ。空の家周辺ではやることのない高校生が毎日必ずマリファナを吸って放課後を過ごしている。やっぱり見ていていいことではないな、と思う。犯罪の温床になって、そこから生まれた犯罪が誰かを傷つけるかもしれない。写真はトゥミサーニおじさんに案内してもらった細い通りである。ここは仕事から帰る人が必ず通らなければならないのだけど、頻繁に強盗が現れ被害にあう人がいるそうだ。たしかに犯罪者が巣食うにはもってこいの環境なのだ。

今日も横領の話を聞いた。地方自治体に金はあっても有効に使われず、誰かが持ち逃げする。色んなところで何度も聞いたことだ。今回の被害者は近所の住民。途中まで作られたボアホール(電気式の井戸)が放置されていた。ゴミと一緒に。

トゥミサーニおじさんはこうも言っていた。
自治体に何度頼んでもダメなんだ」「町の人にゴミ拾いしてもらうとすると、お金が必要だよ」
この言葉が僕に確信を持たせた。彼らに足りないもの、それは、
「自分の住む場所はまずは自分で何とかする」という自治意識
何よりも大事なのは、お金でも機械でもなく、彼らの自治意識を取り戻すことだと思っている。
今の南アの政府がこの自治意識を奪うような政策をバンバン出していることが、僕には不思議でならない。

日本の女性に俺を紹介してくれ!と言っていた兄ちゃんがいたのでこの場で紹介させてもらいます。日本の女性が欲しいとよく言われます。誰か気になる方がいましたら連絡ください。
ちなみに職無しです。でも明るくていいやつです。

近所の風景(冬)

僕の妹
南アに来て妹ができるとは思わなかった。
そういえば僕の大学時代の友人は妹が12人いるとか言って、二次元(アニメ)の世界を楽しんでいたなぁ。。。
妹というのは学校のゲートすぐそばに家のある呑亭坊(ノンテーボ)だ。彼女の親が僕らに「あそこ行って遊んできな」とけしかけているような感じもあり、始終こやつが顔を出すようになったのだ。まぁ一時期ほどではないが。。。
彼女の芸才といったら来る度に僕らを笑わせてくれる。他の隊員とは「こいつぁ、日本で披露したら受けるぞ」と期待しているのだが。
そんな彼女はよく働く。家の手伝いはもちろん。たまにうちのことも手伝ってくれる。
これは靴磨き。おそらく明日から学校が始まるので、それに備えて自分の靴を磨いているのだろう。こっちの人は頻繁に靴を磨く。あれ、日本でもそうですか?革靴を常用していなかった(社会人経験のない)僕は知りません。



ハイビスカス通り

日本ほど庭木はないが、ごく稀にハイビスカスやデイゴの木を植えている家庭がある。生垣という概念がないのか、どこが道との境だ!?というようなオープンな家庭が多い。ハイビスカスは南国のイメージがあるが今は寒い。このハイビスカスは大輪で長年人間に愛でられてきた様子だが、道端で咲く小さく色の薄い可憐なハイビスカスも見かける。GraskopのGod's windowでみたハイビスカスは薄桃色で極めて小さく清楚な感じがした。今までで一番好きなハイビスカス。



屋根つくり
結構遅くまで自分の家の屋根の土台を作っている。写真を撮らせてくれ、と頼んだらR10くれー、だって。「夕日に映えてかっこいい」っていいながら撮っていたらまけてくれた。というか下りるのが面倒だったのだろう。こっちでは大工は屋根も葺かなくてはいけないらしい。日本では瓦職人なるプロがいるが、こっちではそれはないようだ。そもそも家を自分で建てている人も多い。だから結構レンガの積み方がアレなんです・・・


Mr.Rhoko
キャンパスの先生の中で一番なぞの多い男。パセリは一つ屋根の下に住んでいるが、それでも奴はわからん、という。そのため「女に会いに行っている」などと色沙汰を噂されることも多い。
黒の革ジャンを愛用し、気温35度の直射日光下でも脱がない。更なるなぞを呼ぶ。

彼はリンポポのかなり深い田舎出身でモパニワームと呼ばれる虫が好きだ。僕は残念ながらうまいとは思えなかった。



負んぶ

女の子の仲間連れできゃぴきゃぴ話しかけてきた。はじめ妹を背負っているのかと思ったら「私の子」だそうだ。
年齢は19歳だから一般的なのだが、なんせ顔があどけないせいか、少し驚いた。まぁヤンママであることには変わりない。
こっちではおぶ紐は用いず、タオルをこのようにして負ぶうのが一般的。道が悪いせいかベビーカーなんてのもみない。
彼女も慣れたものだったが、ベテランママはこんな感じ。


桃の花

今の時期咲いているのは春の植物。鮮やかなハイビスカスや、デイゴの花に紛れ見慣れた優しい色の花。桃の花である。
こっちでは果物として桃や杏が流通しており(日本の桃のように大きくて甘いものではないが。あれは芸術だ)、ごく稀に人家の庭先に桃の花を見かける。
やっぱりこの形、この色を見るとホッとするし、旧知に会った心地がする。
 
 


デイゴの仲間(Erythrina Lysistemon)

僕はデイゴという花を知らなかった。だから最初これが何の花なのか検討も付かなかった。勝手に最初花だけが咲きバナナのような花をつけるから「花バナナ」と呼んでいた。でもあるときにデイゴの花をみて「あぁあれはデイゴの仲間か!」と喜んだわけだ。これからはアフリカデイゴとでも呼んでおこう。枯れた大地に始めに花を添え葉がないのでとても目立つ。
  
  


ボッサン(Spathodea Campanulata

僕の家の前の大木がこのボッサンだ。ノウゼンカズラ科に属し、別のアフリカ諸国原産だ。つまり南アでは移民なのだ。日本でもノウゼンカズラの仲間はみられる。お化けみたく電柱なんかに絡まってオレンジの花を咲かせるやつだ。何でボッサンって呼んでいるかと言うと、夜になるとこの大柄な花がボッサン、ボッサンと次々と落ちて地面を埋めるからだ。

桜の花びらが落ちる音に耳を傾ける日本人からすると、なんとまぁ下品な散りざまよ、となかもしれないが、僕はその無骨さが好きだ。
ハイビスカス、デイゴ、ボッサンにしろ今の時期に咲くのは赤い花が多い。赤い花は鳥用のアピールだといわれるが、確かにボッサンの蜜量はすさまじい。だからボッサン、ボッサンていう重量級の音が出ちゃうんだけどね。


けんか

共同の水汲み場でなにやら野次馬ができていたので見に行ってみると、酔っ払いが喧嘩しているのだという。
そういうの見ても周りは止めない、ここぞとばかりにエンターテインメントを楽しむ。それにしてもみんな楽しそうに見よる。


今日も終わり

近所の丘の上から。ここまで走っていくと結構な運動になる。ここからは僕の活動圏が一望でき楽しい。
夕方になるとあちこちから煙が上がり、風に乗ってきた煙の香りが丘の上でも鼻をかすめる。
今の時期はとても乾燥しているので、走ってかいた汗があっという間に乾いてさっぱり。
誰もいない静かな場所、誰にも邪魔されない僕の隠れ家。

松葉杖をついたバジル

隣に住む会計士のオバちゃん(といっても僕と同じか若いくらい)のところに学校の長期休暇を使って中学生の甥ポライト君が来ている。いつも暇そうに一人で校内を一日中ぶらぶらしている。しかもいつも何か食べ物を欲しそうな顔や挙動をしている。
ある日このあんまりにも暇そうで手持ち無沙汰な少年に「一緒にサッカーをやろうか」と誘ってみた。するとものすごく嬉しそうに「うん!」と返事をし、飛びついてきた。サッカーをやっているときも息を切らせながらも、楽しそうに球を追っていた。しばらくやって、「はいおしまい、俺はこれから走るけど一緒に走るか?」というとこれまたワクワクした感じで一緒に走り始めた。暗くなってからは危険で外に出られないので校内を往復するだけのランニング。彼はちょっと走り、ちょっと休みを繰り返しながらも僕と一緒に走った。

一緒に遊んでいて思った。彼はあまりこういう風にして父親もしくは兄、年長者と遊んだことがないのではないか?と。ここで暮らしていて気付いたのは、こっちでは大人が子供と遊んでいる風景をほとんど目にしない。子供同士で遊んでいても年長者(高校生くらい)も小さい子供に対して本気でサッカーをやって吹っ飛ばしたりしている。シングルマザーや出稼ぎによる不在で父親というものが極めて稀な存在であるように思う。だからポライト君はこうやって遊んでくれるおっさんが現れ、嬉しかったんだと思う。その後3日間サッカーを毎日やった。「今日もやるか?」と聞いたときの彼の嬉しそうな顔は忘れられない。

あるとき僕が育てていたバジルが誰かに踏まれて折れていた。僕が少し悲しい顔を見せたせいか、ポライト君は咄嗟に小枝を使ってバジルの松葉杖を拵えてくれた。僕はこのときほど南アに来て心が温かくなったことはない。ちょっとこっちの人の冷たさに疲れていた頃だったのでとても嬉しかった。


そんな彼だったが、あるときに僕の食べ物を盗んだ。ちょっと信用してきており、リビングに勝手に出入りさせていたのだが、テーブルの上にあった干し肉を丸ごとごっそり盗ってしまった。すぐに気付いて問いただすと、「ごめんなさい」と言って彼が座っている後ろから出してきた。少し彼を信じてきていたこともあり、僕はすこし傷ついた。それからテーブルの上に置いておいた自分の残酷さを後悔した。腹が減っている子供の前に食べ物を置いておいたら、盗ってしまってもしょうがない。でも悪いことは悪い、今怒らないと意味がないと思い、叱った。子供を叱ったことなんてない僕はしっかり叱ることもできず、最後には「もう二度とうちに勝手に入るな!」と言って引っ込んでしまった。
部屋に入ってからは自責の念から、しばらく何も手に付かなかった。あぁ、どうしてテーブルに置いたままにしてしまったのだろう。あそこになければ彼は盗むこともなかった。八割は僕の責任かもしれない。でも今後の彼のことを考えると、盗みは盗みで悪いことは悪い。明日ゆっくり話そう。と思っていた矢先、彼は実家のほうへ帰ってしまった。機を逃した僕はただ単に彼をいたずらに傷つけただけかもしれない。彼は一年に一度しかやってこないようで、もう二度と会えないかもしれない。
今日も松葉杖をついたバジルが僕を反省させる。

安全講習会@Pretoria

南アで活動する隊員及び職員のためにJICA事務所が毎年安全講習会を開いてくれる。
赴任してから早一年、そろそろ南アに慣れ、油断が生まれてくるので気を引き締めるためにもちょうどいい。
相変わらず都市部での治安は悪いが、年々減ってきてはいるようだ。ただ、南ア政府が詳細なデータを公開しなくなったようで怪しくはあるが。。。

今回はデータが得られなかったので首都で起こり得る犯罪について話を聞いた。
多いのはカージャック、強盗、夜盗、性犯罪だ。
殺人事件数に関しては16,000件くらいで日本の10倍近く、人口は日本の1/3ほどなので単位人口比でいえば30倍くらいである。
でも重要なのは凶悪犯罪が多い、少ないではなく、いかにして自分に降りかかる危険を取り除いていくか、である。
現地で活動していて危険を感じることは日本よりもあるのは確かだが、しっかり落とし穴を除けていればある程度は防げる。
夜は出歩かない、裏路地に行かない、危険そうな人間には近寄らない、持っているオーラをださない、など基本的なことを守っていればかなりリスクは減らせる。
それでも回避できないものもあるかもしれないが、日本の東京や大阪で危なそうな路地に入るよりはリスクが小さい気がする。


それからカージャックのデモンストレーションを元警察官が見せてくれた。
まぁ普段コンビタクシー(乗り合いタクシー)に乗っている僕らにはあまり関係ないんだけど。
あんなふうにされたらもう、、、、だめ。ってぐらいに鮮やかにやってくれる。
ATMをターゲットにしたものなんてどんどん進化していっている。
やるものと、守るもの、犯罪者と被害者(一般者)のいたちごっこだなぁ、と思った。

残りの一年、走って終わろう

活動一年を振り返ってみると、青ざめる。
何も変わっていないじゃないか!
結局初めの一年はカウンターパートがほとんど学校に来なくなり、せめて僕だけでも、と授業を準備してみると、生徒は誰も来ない。
一時はカウンターパートに何を言っても逆ギレされて、「もうこの人は変えられないし、変わらない」と諦めたこともある。
僕もいつしか学校の堕落ペースに嵌り、ただ教室で生徒を待つだけの日々が続いた。

それでも3週間の休みに入り、数学教育学会や首都での報告会などを経ていろいろ考えが変わってきた。また頑張ってやろう、という心持がしてきた。
塞ぎこんでいたときはスポーツをしていなかった。
最近マラソン大会に向けて走り始めた。まだまだ積もった脂肪を燃焼するレベルだが、やっぱり体を動かすと気持ちいい。

なんでも仕事はマラソンに似ている。だからマラソンは根強い人気があるし、結構年配になってから目覚める人もいると聞く。
地道に進む、日々少しずつ
ランナーズ・ハイになることもあるが、そのほとんどは楽へ進もうとする自分の気持ちとの戦いなのだ。
僕は日本にいた頃はただ走るだけのマラソンなんてつまらん、と思っていたが、そういう目で見始めたら楽しくなってきた。
残りの一年弱、しっかり周りを見て走ろうと思う。
走った後の水と風との戯れは至福の時だ。

任地に帰る

まだ朝の気配はない、夜が満ちている。
外は柔らかな雨の音でいっぱいだ。
任地で降る雨はたいてい豪快なものが多いので、こういう穏やかな雨も久しぶりだ。
昨日話した内容がまだ頭の近辺をウロウロしているせいか、目覚めは良かった。
ゲストハウスのマダムVissieも眠い目をしながらも見送りに起きてくれていた。
彼女のこともいつか書こうと思うが、本当に温かなマダムで僕は好きだ。
朝ごはんと昼ごはんを買う時間がないだろうからと、紙袋にサンドイッチやバナナ、ドライフルーツなどが盛りだくさんに詰めて渡してくれる。
「最近白いもの(砂糖や穀類)は食べないようにしているから少し痩せたでしょ?」とそれでも大きな体でコロコロ笑う彼女はとても愛らしい。

いつもお世話になっているタクシーも時間通り(いや10分前に)迎えに来てくれた。
時間という流れに乗り遅れがちな人の多い南アにも、しっかりと流れを掴んで舟を漕いでいる人もたくさんいるのだ。
バスのチケットには30分前には搭乗手続きを済ませてくださいと書いてあるので、
早く行くだけ無駄だとは思いつつもきっちり30分前には到着していた。

着くとすでにバス停は人がずいぶんいた。
しかしバス停は静かでどこか眠っているようでもあった。
日本にいた時にも朝早くの出発はどこか清々しくて好きだった。
人々が細い息をしたり、旅への期待を小さく話しながら待つあのバス停や駅の雰囲気も好きだった。

バス停の屋根から外れるアスファルトには水溜りができ、その上でナトリウムランプのオレンジ色の光が踊っている。
都会に降る雨は地面についても仕事が待っている。なかなか忙しい。
しばらくは灰色に汚れたコンクリートアスファルトを彷徨いながらどんどん黒ずんでいき、行き着く先は排水溝。
ますます汚れてようやく川やら海に出て行ける。地面に潜り込んですぐさま隠れることもできない。
一方、任地のような水に飢えた大地に降った雨は幸せだ。
すぐさま大地に吸収され、地中深くまでもぐっていき、どんどん浄化されきれいになっていく。
そうして硬い岩盤に支えられた地下の水溜まりで皆と合流する。
僕が水滴だったら断然田舎に降りたい。
もし僕を乗せた雲電車が都会の上で降車命令を出しても、絶対下りたくない。
下りたとしても風に乗って田舎まで何が何でも飛んでいくだろう。

そんなことを考えながらベンチに座っていると、ふと隣の女性に目が行く。
プレトリアは標高が1000mを越え、しかも雨が降り早朝だ。
夏とはいえ肌寒い。
その女性の背中には温かそうにタオルに巻かれて子供が眠っていた。
母親の背中で大事に守られ安心して眠る。
危ない町にも安全で安心できる空間が、そこにはあった。

周りの人の何人かは毛布などをかぶっていた。
朝の早い時間。コンビタクシーや電車は動いていない。
バス停に来る手段はメータータクシーしかない。
バスを使う人はあまり裕福でない人たちだ。
そういう人がメータータクシーを使うだろうか?
僕は彼らがどのようにここへ来たのか知りたくなった。
聞いてみると、「昨日からここへ泊まっている」のだそうだ。
なんだかタクシーで悠々と来た自分が申し訳なくなった。
僕らは普通に暮らしていると気付かないことがたくさんあるんだろうな、と思う。
彼らが寒い中、バスを10時間も待っているなんて事は気付かずに終わっていたかもしれない。
人が人を労わったり慈しんだりするには常に相手を見ることが大事なんだと感じた。
これは学校の先生も同じなんだと思う。
生徒を観察する。彼らが何をし、何を感じているのか敏感に感じられる先生になりたい。
いや、サウイウ人間ニ ワタシハナリタイ

そしてバスはたったの30分遅れてやってきた。

たくさん日本語で話す

さて二日目は主目的の技術顧問の先生にお会いし、現状の問題点などを聞いてもらいアドバイスを頂戴することだ。
本当は技術顧問の方が任地を視察しに来る予定だったが、都合が悪くなりそれがかなわなくなってしまったのだ。
キャンパスを見てもらえなかったのは残念だが、技術顧問の方が南アフリカに訪問する機会はもうないので是非ともお会いしたかった。
技術顧問とはJICAボランティアに対し、訓練を施したり、技術的な助言を行っている方のことである。
他にも仕事はあると思うが僕が認識しているのは上記の二つ。
技術顧問の方は僕が始めて「先生とはどんなものなのか」ということを考えさせ、授業の仕方を教えてくださった方である。
実はボランティアの採用試験の時に面接して頂いたのも彼である。厳しさの中に優しさのあるとても信頼できる方だ。
と同時に、老の中に若さが光る方でもある。
南アやその周辺国を視察中の忙しい中に時間を割いて話をする機会を設けていただいた。
話は南アでの活動に納まらず、協力隊が終わった後のことまで及んだ。
今回の話の大きなポイントは、南アで日本を目指してはいけないということだ。
僕は今まで、その経験のなさからどうしても自分が受けてきた教育を模倣し、目指してきた。
だから知らず知らずのうちに「こうでなきゃいけない」という考えがどこかにあったのだ。
でもそれではこの国には通用しない。この国にはこの国のやり方、今できうる最善の方法がある。
それは決して日本のものではなく、南アのものなのである。それを忘れてはいけない。

二日目の韓国料理屋はアルバイトらしき白人の若い女人も働いており、色んな人種が混じっていてやっぱりプレトリアだなと感じた。
任地では白人と黒人が肩を並べて働いているのは殆ど見かけないし、そこにアジア人が混じっているのは皆無だ。
僕らを除いて。
その若い女性は、韓国語を学んでいて韓国にも行ったことがあるようだ。
日本語も少し話せます、というので聞いてみると、
「トイレはどこですか?」だって。
それを言った後の仕草がとても愛らしくて、そこにいた隊員全員心が奪われた、に違いない。
少なくとも僕の隣の隊員はその後注文するときに自ら立ち上がって注文しに行っていたくらいだ。
また僕らは必ず行くであろう。サムゲタンを食べに。。。

科学隊員は南アにしかいない。彼らは科学館や博物館に所属し、そこでの展示の仕方や修理、イベントの企画を行う。
僕も知っていたら理数科教師ではなく科学隊員を希望していたかもしれない。
科学隊員の方は大学では物理や工学、地学を専攻していた方でゲストハウスに帰ったあとも何時間も話に花が咲いた。
もちろん科学だけではなく、日本の科学教育の話や、そこから日本の今後のあるべき姿、旅の話、新しいビジネスの話。
不思議なことに日本にいるときより、日本の事を考えるようになった。また日本のことを知りたくなった。
その他にも哲学や宗教、道徳の話をした。
帰りのバスが早かったが、何より話が面白くてついつい遅くなってしまった。
僕らが最後に導き出した結論は、これからの日本はとても明るい、ということだった。

僕は今でも研究職に就きたいと考えている。いや寧ろその思いは強くなった。
最初は先の見えない研究生活を見直したくて、そこから一度抜け出した。
正直研究職ではない何か他のものになる道も考え始めていた。
今でもまだよく分からない。
でも様々な形で科学と向き合ってきた方々と出会うたびに、科学の方へ進みたいという気持ちは強くなってきている。
さて帰国後はどうなるか、自分でもまだ分からない。