無似師

今日も無人師(無いがごとし(似)の人(師)なので今後ムニシ(僕のカウンターパート)さんのことをこう書く)
さんと言い合った。
先日の査察の結果表を得意げに見せてきたので、
「なんだ、そんなの形だけで僕らは何も得ていないし、良くもなっていないじゃないか」
だから無似師さんの弱腰を批判混じりに言い合ったのだ。
もう彼といったら本部の人間の言うことは丸呑み、無抵抗、頭が地面なんだから情けない。
僕が成績表の付け方についてこうしたらどうなのかな?と査察の前日に無似師さんに尋ねていた。
そのときは彼も忙しさでパニクッてたのか「明日本部の人に掛け合ってみる」と即答してくれた。
それなのに今日「そういえばあの件どうなった?」と聞いたら、
「聞けるわけないだろ?本部の言うことは絶対なんだ、俺らがどうにかできるものじゃない」だって。
このヤロー騙したな!です。ほんと。
別に僕は「変えよう」と言ったわけではない。
ただ、せっかく本部の人と末端で働く人が会って話す機会がもてるのだから、
もっと積極的に何かを変えていこうという「姿勢」を持って見せて欲しかったのだ。
提案したり、何かを積極的に変えようとすることが大事なのだと何度か無似師さんに伝えようと試みたが、
そう簡単にはイカの燻製。これは本当に長い時間がかかると思う。
二年じゃ足りないのではないいか?と不安になる。

でも無似師さんの授業風景を生徒から聞いていると、それも難しいのかな、と思うことがある。
論理的な議論にはならないのではないか。
彼の授業は(いや他のキャンパスもそういうことが多々あると聞く)、
こうだからこう、教科書に書いてあるからそうなのだ、わからないなら教科書を読みなさい。
仕舞いにゃ、どうしてわからんのだ!おまえの頭が悪い!ひぃ、へっし!
というものだそうだ。

一方で本部の方にも非があると思う。
なにせ非効率的。
まるでサンドイッチを作るのに、
まず落ちる紙を切れるほどに包丁を砥がせて、オーブンを新品のようにピッカピカになるまで磨かせて、
きゅうりとトマトは皮が削れるほどに洗わせて、パンの耳は残らず取って、
ハムをきっちり一枚一枚はがして並べさせ、マーガリンはパンの隅々まで塗らせる。
長い長い準備を終えるときには自分のすべきことが見えなくなってる。サンドイッチを食べ忘れてしまうのだ。
しかし、こうでもしないと、無似師さんのような人を管理できないのかもしれない。
それでも管理できていないと思いますがね。。。ホント査察の無意味なこと。
生徒のファイルを査察者に見せるのだが、
それは先生が前日に一生懸命夜鍋をして(そこまでズクはありません、3時のシンデレラです)、
数冊だけでっち上げたもので、生徒に指導がいきわたっているかを示しているものではない。
FET(僕の学校)対JICAの報告会で言ってやりたい。
査察は単なる先生の活動の邪魔にしかなってませんよ、と。

最後に僕が言いたいのは、末端からのフィードバックなしでは組織はジャイアニズムに支配される。
しかも本部は現場の要求を知らないので、まるで人間の頭が鳥の体に付いてもがいているようなものだ。
だから僕の学校では使いもしないような雲形定規や製図用のコンパスが僕の引き出しから見つかるのだ。

JICAに限らず、途上国支援には現地の要求とまったく食い違うものがドナー側から供給されることがある。
たとえば電気の無いところへ電気制御式のポンプだとか。
かなり精密な機械で一度壊れると直せないとか。
今いる学校を見ながらそれらのことを思い出した。
だから僕もフィードバックしていかなくてはいけない。