相撲

ちょっと今日は色んな方向に少しだけ下品な内容が冒頭に含まれているので、気をつけてください。

今日は放課後教室の日だったので準備して「さて行くか」と気合を入れるためトイレにてカァカッしていたら、
チャーリーさんから、今日は仕事が忙しくて行けないから明日にしてくれと電話が来た。
受話器を通して臭いが届かないように便器からできるだけ上半身を離しつつ、恥ずかしさの中で了解した。

さて、、、子供たちはたぶん今日来るって思ってるから、困ったな。
行くだけ行って遊んでくるか、と先日購入した細いロープだけを手に出発した。
ロープを買ったとき、ふとこっちの国にも亀甲縛りってあるのかなぁと思ってしまった。
さすがに店の人には聞けず、好奇心を抑えつつ購入して終わってしまった。
そうだ、最近日本で亀甲縛りアイドルなる変態アイドルがいるというのを知ったから余計な好奇心が生まれてしまったのだ。
いやいや、普通の細いロープよ。詮索するなかれ。
これ

相変わらず隣を歩く野菜隊員は町の人気者だ。
露店のおばちゃんやお姉さんに声をかけられる。
一方僕は名前が難しいうえ、顔もパッとしないし、足袋も履いていないので反応も無いし覚えてもらえず影みたいな存在。
それでも細々と「ここにいますよー」と手を振って主張。
2年後もこれじゃ寂しいなぁ。

着いてみると、まだ学校が終わったばかりの時間だったので、
ちらほらと子供たちがいるくらい。
でも僕らを見つけるなり、近寄ってきてくれ、
「なんかよく分からないけど、何かをやってくれるおじさん」
というのが定着したのを認識した。

この施設は芝生が綺麗に生えそろえてあり、遊ぶのにはもってこいの場所。
毎週末チャーリーさんが芝刈りをしてしっかり管理しているおかげである。
子供たちは、小学生くらいから携帯電話を持っているので、それを使って音楽を聴いたりゲームをしている。
その周りを小学生低学年以下の諸々がちょろちょろしている。
僕が小学生の頃は毎日公園で鬼ごっこや缶蹴り、サッカーをして遊んでいた。
誰も友達が見つからないときは、いつも必ず暇な奴と「堅い土だんご作り」を公園の隅のほうでやっていた。
そのためか、今でも遊びに関してはいくらでも創造できる。
今は日本も時代が変わり携帯ゲームや屋内ゲームが充実して、かつての遊びの形態からずいぶんと変わっている。
南アも同じなのかもしれない。南アの携帯電話普及率は日本を上回る。
携帯電話が彼らのおもちゃなのだ。

彼らの遊びを邪魔しちゃまずいか、と思いつつも、友達との遊びというのはコミュニケーション能力を磨いたり、
体の動かし方を学ぶ手段だと思っているので、是非ともやらせたかった。

だから徐にロープを使って芝生に円を描いた。
すると携帯で遊んでいた子供も「何だ、なんだ?変なおじさんが変なことを始めたぞ?」と訝しんで周りに集まってきた。

そう、相撲。

これは日本人としては王道かもしれないが、これは単純に僕にとってやりやすいという理由。
ルールを定着させるために、初めは僕が行司を勤めた。
「はっけよーい、のこった!」それから時々盛り上げるために「残った残ったぁ!」と
掛け声をかけ続けていたら、あるときにおチビさんが僕を真似て、
「はっけお〜ら、ネコった!」だって。
それに釣られて周りの子供たちも行司役の僕の傍に来て「はっけお〜ら」やら「ネコった」。
なんとまぁ愛らしい子供たちよ。
でもやっている途中にルールを無視してキックしたり、土俵に入り込んできたりする子供もいるので、
容赦なく追い払ったり叱ったり。それでも何度も繰り返す。小さい頃の自分を思い出す・・・
たまに相手を頼まれて勝負するのだが、これがなかなかの曲者で大きいものにはそれなりの手段がある、
とでも言うように、体によじ登ってくる。

こっちでは強いものが勝つ。だから弱いものは強くなろうとする。
相撲の話ではなく、順番待ちの話である。
見ていると順番なんざクソ喰らえ。
体の大きい年長の子供は小さい子の前に平気で割り込むし、

並んでいる列で始終揉め事が起こる。
両サイドに並ばせているのだが、前の奴の腕を掴んで無理やり割り込もうとする。

日本で言う秩序は感じられない。
年長の子供が弱い子供を庇うことが少ない。
こっちでの秩序は強いものが弱いものを圧倒して弱いものの上にどかっと座った感じ。
この構図は少なからず大人の社会を反映していると思う。
貧富の格差があってもそれを埋めようなど考えず、自分と家族が勝てばいいという風潮が勝っている。
子供社会と大人社会を安易にリンクさせるのは危険かもしれないが、少なからず影響していると思う。

それでも見ていて面白いな、と思うのは強いものに排除された小さい子供も負けずと立ち向かおうとしているところ。
こうして社会を学んでいるのだなと感心する一方で、大人の社会にこれは通用すまい、弱者はそう簡単には強者に立ち向かえまい、と思う。
こっちにはこっちの社会の秩序がある、その社会が悪かろうが、よかろうが、彼らはその社会の中で生きねばならない。
順番を守ること、弱者を労わることを教えたところで、少数派の彼らは社会で苦労するだけなのではないか、とも思う。
難しい。
遊びを教えるということがいかに難しいことか、今日知った。

それから感じたのはリーダーの不在。
前にも述べたが年長者が弱いものを庇ったり、ルールを設けて秩序を作る、また公正な判断を下すということがない。
まるで無法地帯。しばらくはルールの定着に時間がかかるかなと感じた。
その矢先、小さいが利発そうな少年が僕の隣に来て行司を観察し始めた。
このゲームのルールがいかなるものかを僕から見て学んでいた。
しばらくすると、判定を下すまでになってきたので、
「よぉし、やっていみろい」と言って代わった。

なんだ、やるじゃないか、しかし彼はまだリーダーという風ではなかった。

子供たちと遊んでいると色々な発見があって面白い。
大事なのは、
・怪我をさせない
・相手を思いやる心を育てる

この二つ。
たまに危ないシーンもあるのでまだまだ注意が必要だ。