任地に帰る

まだ朝の気配はない、夜が満ちている。
外は柔らかな雨の音でいっぱいだ。
任地で降る雨はたいてい豪快なものが多いので、こういう穏やかな雨も久しぶりだ。
昨日話した内容がまだ頭の近辺をウロウロしているせいか、目覚めは良かった。
ゲストハウスのマダムVissieも眠い目をしながらも見送りに起きてくれていた。
彼女のこともいつか書こうと思うが、本当に温かなマダムで僕は好きだ。
朝ごはんと昼ごはんを買う時間がないだろうからと、紙袋にサンドイッチやバナナ、ドライフルーツなどが盛りだくさんに詰めて渡してくれる。
「最近白いもの(砂糖や穀類)は食べないようにしているから少し痩せたでしょ?」とそれでも大きな体でコロコロ笑う彼女はとても愛らしい。

いつもお世話になっているタクシーも時間通り(いや10分前に)迎えに来てくれた。
時間という流れに乗り遅れがちな人の多い南アにも、しっかりと流れを掴んで舟を漕いでいる人もたくさんいるのだ。
バスのチケットには30分前には搭乗手続きを済ませてくださいと書いてあるので、
早く行くだけ無駄だとは思いつつもきっちり30分前には到着していた。

着くとすでにバス停は人がずいぶんいた。
しかしバス停は静かでどこか眠っているようでもあった。
日本にいた時にも朝早くの出発はどこか清々しくて好きだった。
人々が細い息をしたり、旅への期待を小さく話しながら待つあのバス停や駅の雰囲気も好きだった。

バス停の屋根から外れるアスファルトには水溜りができ、その上でナトリウムランプのオレンジ色の光が踊っている。
都会に降る雨は地面についても仕事が待っている。なかなか忙しい。
しばらくは灰色に汚れたコンクリートアスファルトを彷徨いながらどんどん黒ずんでいき、行き着く先は排水溝。
ますます汚れてようやく川やら海に出て行ける。地面に潜り込んですぐさま隠れることもできない。
一方、任地のような水に飢えた大地に降った雨は幸せだ。
すぐさま大地に吸収され、地中深くまでもぐっていき、どんどん浄化されきれいになっていく。
そうして硬い岩盤に支えられた地下の水溜まりで皆と合流する。
僕が水滴だったら断然田舎に降りたい。
もし僕を乗せた雲電車が都会の上で降車命令を出しても、絶対下りたくない。
下りたとしても風に乗って田舎まで何が何でも飛んでいくだろう。

そんなことを考えながらベンチに座っていると、ふと隣の女性に目が行く。
プレトリアは標高が1000mを越え、しかも雨が降り早朝だ。
夏とはいえ肌寒い。
その女性の背中には温かそうにタオルに巻かれて子供が眠っていた。
母親の背中で大事に守られ安心して眠る。
危ない町にも安全で安心できる空間が、そこにはあった。

周りの人の何人かは毛布などをかぶっていた。
朝の早い時間。コンビタクシーや電車は動いていない。
バス停に来る手段はメータータクシーしかない。
バスを使う人はあまり裕福でない人たちだ。
そういう人がメータータクシーを使うだろうか?
僕は彼らがどのようにここへ来たのか知りたくなった。
聞いてみると、「昨日からここへ泊まっている」のだそうだ。
なんだかタクシーで悠々と来た自分が申し訳なくなった。
僕らは普通に暮らしていると気付かないことがたくさんあるんだろうな、と思う。
彼らが寒い中、バスを10時間も待っているなんて事は気付かずに終わっていたかもしれない。
人が人を労わったり慈しんだりするには常に相手を見ることが大事なんだと感じた。
これは学校の先生も同じなんだと思う。
生徒を観察する。彼らが何をし、何を感じているのか敏感に感じられる先生になりたい。
いや、サウイウ人間ニ ワタシハナリタイ

そしてバスはたったの30分遅れてやってきた。