たくさん日本語で話す

さて二日目は主目的の技術顧問の先生にお会いし、現状の問題点などを聞いてもらいアドバイスを頂戴することだ。
本当は技術顧問の方が任地を視察しに来る予定だったが、都合が悪くなりそれがかなわなくなってしまったのだ。
キャンパスを見てもらえなかったのは残念だが、技術顧問の方が南アフリカに訪問する機会はもうないので是非ともお会いしたかった。
技術顧問とはJICAボランティアに対し、訓練を施したり、技術的な助言を行っている方のことである。
他にも仕事はあると思うが僕が認識しているのは上記の二つ。
技術顧問の方は僕が始めて「先生とはどんなものなのか」ということを考えさせ、授業の仕方を教えてくださった方である。
実はボランティアの採用試験の時に面接して頂いたのも彼である。厳しさの中に優しさのあるとても信頼できる方だ。
と同時に、老の中に若さが光る方でもある。
南アやその周辺国を視察中の忙しい中に時間を割いて話をする機会を設けていただいた。
話は南アでの活動に納まらず、協力隊が終わった後のことまで及んだ。
今回の話の大きなポイントは、南アで日本を目指してはいけないということだ。
僕は今まで、その経験のなさからどうしても自分が受けてきた教育を模倣し、目指してきた。
だから知らず知らずのうちに「こうでなきゃいけない」という考えがどこかにあったのだ。
でもそれではこの国には通用しない。この国にはこの国のやり方、今できうる最善の方法がある。
それは決して日本のものではなく、南アのものなのである。それを忘れてはいけない。

二日目の韓国料理屋はアルバイトらしき白人の若い女人も働いており、色んな人種が混じっていてやっぱりプレトリアだなと感じた。
任地では白人と黒人が肩を並べて働いているのは殆ど見かけないし、そこにアジア人が混じっているのは皆無だ。
僕らを除いて。
その若い女性は、韓国語を学んでいて韓国にも行ったことがあるようだ。
日本語も少し話せます、というので聞いてみると、
「トイレはどこですか?」だって。
それを言った後の仕草がとても愛らしくて、そこにいた隊員全員心が奪われた、に違いない。
少なくとも僕の隣の隊員はその後注文するときに自ら立ち上がって注文しに行っていたくらいだ。
また僕らは必ず行くであろう。サムゲタンを食べに。。。

科学隊員は南アにしかいない。彼らは科学館や博物館に所属し、そこでの展示の仕方や修理、イベントの企画を行う。
僕も知っていたら理数科教師ではなく科学隊員を希望していたかもしれない。
科学隊員の方は大学では物理や工学、地学を専攻していた方でゲストハウスに帰ったあとも何時間も話に花が咲いた。
もちろん科学だけではなく、日本の科学教育の話や、そこから日本の今後のあるべき姿、旅の話、新しいビジネスの話。
不思議なことに日本にいるときより、日本の事を考えるようになった。また日本のことを知りたくなった。
その他にも哲学や宗教、道徳の話をした。
帰りのバスが早かったが、何より話が面白くてついつい遅くなってしまった。
僕らが最後に導き出した結論は、これからの日本はとても明るい、ということだった。

僕は今でも研究職に就きたいと考えている。いや寧ろその思いは強くなった。
最初は先の見えない研究生活を見直したくて、そこから一度抜け出した。
正直研究職ではない何か他のものになる道も考え始めていた。
今でもまだよく分からない。
でも様々な形で科学と向き合ってきた方々と出会うたびに、科学の方へ進みたいという気持ちは強くなってきている。
さて帰国後はどうなるか、自分でもまだ分からない。