牛番アルファさん

昨日職員室で仕事をしていると窓の外を牛が、続いてヤギが。。。
牛・山羊番のα(アルファさん)が放牧しているらしい。
先日、出たばかりのサトイモの芽が二度ヤギに食われている。
ちょ、ちょ、ちょ、ちょーーーーっと!
ホントやめてね、ヤギっこ!
アルファさんに二回ほど「注意してくれよ」、と頼んだがまぁそうは簡単にいかないもので。。。

僕は仕事をほったらかして、自ら牛追い、ヤギ追いを始めた。
さすがに三度目は怒るよ!
なんとか無事だったサトイモ。って、茎しかないから食う場所ないんだけどね。

アルファさんはこのキャンパスの卒業生。
なんとか今の仕事にありつけたようだが、給料が三ヶ月出ていないらしい。
どうやら本部での手続きに問題があるようだ。
昨日「金を貸してくれ」と来たから、ちょっと待て、教頭に話してみる、と言って、相談しに。
教頭は今日中には出るはずだ。と言っていたが、当てにならない。
結局今日になっても出ず、今朝お金を貸した。
こっちでは正直お金のやり取りはしたくない。
まぁでもなんでも信じられぬと言って嘆くよりも、信じて傷つくほうが武田鉄也も喜ぶと思って貸した。

ここで一つだんだん見えてきたこっちの事情を紹介しようと思う。
こっちではよく見ず知らずの人から、「My friend」と言って声をかけられる。
これを言われたら相手が自分より年上だろうが、年下だろうが彼は自分を同等の立場と見ていることを意味する。
この同等の立場というのが面白い。
同等の立場であると、すべてがその階層で共有される感じがする。
食べ物、お金、所有物がだれだれに所有されているのではなく、我々の物(ours)、なのだ。
以前すごいことを言った青年がいた。
「この国ではガールフレンドですら共有するんだぜ!」だと。
これには少し冗談も混じった表情だったが、
ふむ、なるほどな。この人たちならありうるかも知れぬ。と思ってしまった。
1人飯を持っていればみんなに分けるのが当然であるので、勝手に取られていく。
基本的に僕の周りにいる人は貯金とか将来のことを考えてお金をセーブしておくという考えがない。
あれば使ってしまう。だから、給料日前とかは貯金好きの日本人が狙われる。
持てる者が持てぬ者へ分け与える、そしていざ逆になった場合も分けたり、分けてもらったり。
なんか個人という枠がぼんやりしているんだよなぁ。
なんだろうちょっとルノワール的な輪郭かな。
昨今の人と人との繋がりが断ち切られ個人がくっきりと分かれている日本と、
足して2で割ったらちょうどいいかなぁ。
僕が小さかったころはよく見かけられた、近所同士の「お裾分け」にどこか似ているところがある。
物持つ人が、持たぬ人へ分け与える。そもそも「与える」という概念ではないのかもしれない。